2018年5月5日土曜日

日本で研究するということ2

アメリカの有名研究室から一流誌に掲載される論文を読んでいると、そのデータの量と質はすごいなと感じさせられます。感心している場合ではないのかもしれませんが、ホント竹槍とB29という感じです。

日本ではアカデミアの研究も「選択と集中」で、限られた予算で特色を出し、ユニークな研究をせよ、”共同研究”をせよ、産業に応用できそうな研究をせよ、ということなのかもしれませんが、なんだかそれってますます研究の王道から逸脱していくような感じがするんですよね。

基礎研究で本当に大事なことを突き詰めてやろうとすれば、どうしてもそれなりの規模のグループと、それなりの予算と環境が必要になります。そして、他人から見ても大事だとその価値を認められるような研究は、ほとんどの場合、国際的な競争を避けることができませんので、日本の研究者が、助成期間が短く、額の小さい研究費の申請書を次々書かなくてはいけなかったり、任期切れで次の職に応募しなくてはいけなかったりしているような環境では、たとえ優れた創造性があったとしても発揮のしようがありません。結局は日本のグループがもたもたしている間に、競争力に勝る外国のグループがその分野の成果をほぼ総取り、ということになりえます。

なので、限られたリソースでがんばれ、というのは、暗に「誰がみても面白そうな、競争の激しいところは諦めて、隙間的なところでできることをがんばりなさい」ということを意味しているようにも聞こえちゃうんですよね。でも、それではますます日本の科学の弱体化がすすむのではないかと。やっぱり本当のところは、研究をやるのだったら、大事な分野で存在感を示さなければ意味がないと思うんですよ。

日本の基礎研究力の落ちぶれっぷりに慌てた政府が、大学改革を含んだ新たな戦略を6月にも示すんだそうな。ますます見当違いのほうに行っちゃわないといいなと思っております。

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