2017年11月19日日曜日

日本で研究するということ

国立大学独法化以来、諸外国に比べて日本の科学研究の衰退が顕著になったということで、国が今頃になって慌てて対策を打ち出していますが、現場の人間から見ればそのような没落も当然だなという気になります。

私も常々できるならば世界の最先端と渡りあえる研究をしたいと思ってはいますが、不安定なポジションと限られた研究費とでは、試せるアイデアの数は知れていますし、例えあるアイデアがうまくいきそうとわかったとしても、どこまでそのアイデアを発展させられるかには、おのずから限りがあります。プリンストンを訪問したときに、ランチやディナーで日本の研究の状況を話すと、向こうのポスドクや院生は「え?」みたいな反応でしたしね。

まあ、研究費の配分を決めたり、研究を評価する立場の人たちから言えば、「そんなこと言わず頑張れ」とか「まずは成果を出してからものを言え」とか「大変なのはどこも同じ」とかいうことになるのかもしれません。ただ学会で海外の研究の進み具合を見たり、実際に海外のトップレベルの研究室を訪問してその研究環境を目の当たりにすると、これは竹槍でB29を落とせと言われているに等しいな、という気になってきます。私は、最近の日本という国は政治の劣化が甚だしく、もうあんまり本音では科学研究とか教育とかに投資しようという気がない国なんだろうと思っています。私自身は、残念ながら日本の研究環境を変えるほどの影響力はもっておりませんので、なるべくそういう不毛な精神論に陥らずに、自分の研究のレベルが自分で許容できるうちは、できることをしていこうと思っています。

日本の中では、社会保障も医療も教育も子育ても雇用対策も大事ですし、その中で科学技術に関連する予算は例外的に優遇されているということは重々承知しております。ただ、まあ一市民としては、ほんとあんな衆議院の解散総選挙で600億円とか使うんだったら、その一部でいいから研究にまわしてくれよと思ってしまいます。日本の中でも国際的に優れた成果をあげている研究室はもちろんありますが、なんというか、それはいわば多弱の中にある例外のような特異点で、アメリカのように優れた研究室がたくさんあって面的な厚みを生み出している、というのとはちょっと違うんですよね。

日本でそのような一部の有力研究室の影にある層を持続的にサポートできるようなシステムがあればいいのですが。それからやっぱり科学は人間がするものなので、人ですよね。私はなんだかんだ言って自分の生まれ育った日本は(そしてサイタマは)好きなので、日本で良い研究ができるようになればと願うのですが、なんというか日本の科学は、近年ノーベル賞を受賞されてその業績が評価されているような先生方やその世代が、長い年月と努力をかけて築き上げてきた遺産を食いつぶして、だんだんやせ細っていっているというのが私の印象です。

私自身はそのような状況でどうやって良い研究を続けていったらいいのかはよくわかりません。何も言わないとこれでいいとお上の人たちは思ってしまいますから「科研費落ちた日本死ね」とか「公募落ちた日本死ね」とか書いておいたらいいのかな。。。それはともかく、たぶん個人のレベルでは、SfNのような海外の学会には毎年行って、分野全体の動向を常に把握することは必要なんだろうなとは思います。でないと井の中の蛙だったり、日本の研究と外国の研究を分けて考えるダブルスタンダードに陥ってしまうので。私は自分の研究が海外の研究者からも認められるレベルであって欲しいと望んでいます。そして自分の持っているアイデアの中で、まだ他では(少なくとも学会発表のレベルでは)研究されていないテーマを伸ばしていくことでしょうか。それが「敵を知り己を知れば・・・」ということにつながるのかもしれません。

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