2018年12月15日土曜日

日本生理学会第248回東京生理学談話会の開催のお知らせ

2018年12月15日(土)13:00~17:40に、埼玉大学総合研究棟2階12番講義室において、日本生理学会の第248回生理学東京談話会を開催します。

多数の皆様のご参加と、研究発表をお待ちしています。

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2018年10月9日火曜日

アメリカ帰りの研究者の「食探し」サバイバルガイド

私もアメリカでしばらく暮らしていたことがありますので、今でも向こうでよく食べていたメキシカンやタイ料理や、でっかいハンバーガーが食べたくなることがあります。

日本では近所になかなかそういうお店がないのが困ったところです。

アメリカで食べていたブリトーに近いブリトーが買える貴重なお店が、私鉄TT線のS駅の近くにあったのですが、しばらく前に閉店してしまいました。東京まで出れば、メキシカンは専門店もチェーン店もあると思いますが、どうしても禁断症状が出る場合は、ファミレスのココスにいけば、ケサディラやトスタダのようなものが食べられることを最近発見しました。日本のなんちゃってを食べながら、味は脳内補完が必要ですね。

タイ料理の良いお店は知りません。たまたま都会(?)にいって見つけたときに食べるくらいです。

でっかいハンバーガーは最近は街のカフェ等でも食べることができそうです。上にあげたTT線S駅の駅ビルのハンバーグ専門店は、お腹いっぱいになるようなアメリカンなハンバーガーを食べることができましたが、ここも最近閉店してしまったようです。それから以前、本郷の東大の近くにあるハンバーガー店に連れていってもらったことがあります。ここは有名なお店のようなので、ご存知の方も多いのではないでしょうか?

2018年10月6日土曜日

良い研究者の条件

「自分は正しいことをやっている」という自信と、「本当に自分のやっていることは正しいのだろうか」という自分を疑う姿勢が、絶妙のバランスで共存する必要がありそうですね。どちらかがあまり強すぎると、うまくいかない気がします。

こういう2つの矛盾する状態を、健全な精神のもとにどれだけ抱え込んでいくことができるか、というのがその人のスケール感に通じる気もします。

まあ、研究者だけに限らず、すべての創造的な職業はそうなのかもしれません。その分野で突出した存在になっている人というのは、その人の作品なり演技・演奏を見た人の心を深いところで揺さぶる何かを必ずもっています。

2018年9月22日土曜日

祝・ミネルバ2着陸成功

はやぶさ2の小型探査ロボットがリュウグウの表面に着陸して撮影した表面の写真はすごい!

世界初って、そりゃそうでしょう。誰も行ったことがない遠くの小惑星の表面が画像で見られるなんて、興奮しませんか?これこそイメージングの力です。

2018年9月21日金曜日

勝ち馬に乗りたがる人たち2

惨敗という大方の予想に反しての善戦は立派ですね。

ご本人や支持した人たちの今後の処遇が注目ですが、あえてしばらく冷や飯を食う、というのも悪くないのではないでしょうか。

権力を持った(しばしばパワハラ体質の)相手に屈せず、弱い立場でもリスクをとって戦う人たちは応援したくなります。判官びいきと言うよりは、これはロックですよね、ブルーハーツのような。

某大手事務所を辞めて芸能生命を危ぶまれたタレントも、今は高級外国車の宣伝に起用されたり、パリで個展を開くなど大活躍していますし、素晴らしいことです。

2018年9月16日日曜日

大きい(または小さい)ことはいいことか?

スマホも自動車も、最近は新しいモデルが出るたびに大型化、高価格化して、もはやメーカーの思うつぼという感じです。時代の流れといえばそうですが、嫌なら買うなと言わんばかりのメーカーの姿勢や、消費者の選択の幅が狭められることにはフラストレーションも感じますね。

私は基本的に、車は走ればいい、ケイタイは話せればいい、(そして顕微鏡は見えればいい)と思う方なので、どちらかといえば無駄な機能を排したコンパクトな製品に魅力を感じる方です。そういう製品のもつ洗練もしくは潔さのようなものが好きなのかもしれません。

2018年9月14日金曜日

大きな論文と小さな論文

大きな論文を書いても、小さい論文を書いても、出版までの労力はあまり変わらないから、より評価される大きな仕事に注力したほうがよい、というのは一般によく聞くアドバイスです。

その意味するところは良く理解できますが、実際書いてみると、ちょっとした小さな論文と、いわゆる一流誌を狙うような論文とでは、その労力には実感として3〜10倍くらいの差があるように思います。小説で言えば短編と長編の違いでしょうか。

私としては、短編にもそれなりの存在意義があるような気がします。システィーナ礼拝堂の天井画を描いたミケランジェロだって、本番の前には沢山の習作を残しています、と書くと、例としてはあまりに偉大すぎますが、つまり短編では、いきなり長編で試すのをはばかられることであっても、少し肩の力を抜いていろいろ試すことができる、ということでしょうね。

実際、研究者にとって小さい論文を書かなければいけない状況はときどき訪れます。指導している大学院生の学位取得のためだとか(当の院生にとっては人生に関わることなので責任重大です)、コンスタントな生産性を維持していることを証明しなければならないとき(例えば、研究費の申請や昇進のため)などですね。

まあ、腕に自信のある料理人ならば、頼まれればお客さんが食べたいというものを何でもおいしく作れないといけませんが、職業研究者も、最前線で生き残るためには必要なときに必要とされる論文を書く力がないといけない、ということになるのかもしれません。